洋楽はラジオと共に

ラジオの深夜放送など通じて洋楽に夢中になったあの青春の頃を思い出してみませんか・・・

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▲イギリスの THE BEATLES STORY
◇洋楽を日本国内に定着させたラジオ放送
・「S盤アワー」
・「L盤アワー」
・「ラジオの深夜放送」
◇洋楽紹介の中心的役割を果たした中波AM放送
・「ラジオ局の誕生」
・「テレビ局の誕生」
◇ラジオから数々の洋楽が大ヒット!
・印象に残る昭和30~57年の洋楽



洋楽を日本国内に定着させたラジオ放送

 日本でラジオの放送局が次々と誕生し始めた1950~1960年代、ラジオのポップス番組から発信された海外のヒットソングの数々曲は、当時の若者たちに夢を与え、アメリカやヨーロッパへの憧れを増幅させた。

S盤アワー

 「S盤アワー」とは、昭和27年(1952年)4月から昭和44年(1969年)11月まで、毎週日曜日の深夜に東京の文化放送で放送された音楽番組のことで、番組放送開始早々から若者の心を捉え、洋楽(ポピュラーソング)ブームを巻き起こした。

▲ AMラジオ局のスタジオ調整卓
 番組スタート時、この番組の提供スポンサーに決まっていた日本ビクターは、アメリカのRCA社から発売された楽曲の日本での発売権を取得。その原盤をもとに、「S」で始まる規格番号を付けた洋楽のSP盤を発売していた。また、その頃は78回転のS盤レコードが主流だったため、番組タイトルが「S盤アワー」と名付けられた。

 この番組からは、グレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」やマリリン・モンローの「帰らざる河」、ハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」などのヒット曲が生まれた。エルヴィス・プレスリーが初めて日本に紹介されたのも「S盤アワー」からだった。

(S盤とは78回転のSP盤で販売されたポップスレコードのことで、SPとはEP盤と呼ばれる45回転シングル・レコードよりも前の規格のことをいう)

L盤アワー

 「L盤アワー」は、昭和29年(1954年)10月から昭和44年(1969年)4月まで、毎週水曜日の夜10時30分から東京放送(現:TBSラジオ)で放送されていた番組のこと。

 アメリカのコロムビア社と日本でのレコード発売契約をしていた番組スポンサーの日本コロムビアが、自社レーベルの洋楽レコードに「Ⅼ」で始まる規格番号を付けて発売していたことから、「L盤アワー」のタイトルがつけられたという。

 番組がスタートした頃、78回転のSP盤に代わってより高音質の45回転盤レコードの時代に突入したため、「L盤アワー」では45回転のEP盤レコード楽曲が数多く取り上げられるようになった。

 番組では、アメリカでのヒット曲をいち早く紹介して多くの洋楽ファンを獲得。ジョニー・レイの「雨に歩けば」やドリス・デイの「ケ・セラ・セラ」、パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」など数々の名曲を世に送り出した。

ラジオの深夜放送

 昭和34年(1959年)4月に、大阪のラジオ大阪が民放初となる深夜の生放送番組「アナウンサーコーナー」(通称:アナコーナー)をスタートさせて注目を集めたが、昭和41~42年頃になると東京や大阪で相次いで人気の深夜番組が誕生した。

▲TBSラジオのスタジオ風景
<関東エリア>
 関東エリアでは、昭和42年(1967年)7月にTBSラジオの「パックインミュージック」が放送を開始。昭和42年(1967年)10月にはニッポン放送の「オールナイトニッポン」、昭和44年(1967年)6月に文化放送の「セイヤング」がスタートした。

<関西エリア>
 関西エリアでは、昭和41年(1966年)4月に朝日放送ラジオの「ABCヤングリクエスト」(通称:ヤンリク)が放送開始。翌年の昭和42年(1967年)10月には毎日放送ラジオの「MBSヤングタウン」(通称:ヤンタン)がスタートした。更に、昭和45年(1970年)には、ラジオ大阪の「ヒットでヒット!バチョンといこう」(通称:バチョン!)が放送を開始。いづれの番組も当時の若者のハートを捉え、深夜放送が大ブレイクした。

<多くのヒット曲が生まれた深夜放送>
 1960年代後半から1975年頃にかけて、海外の最新ヒット曲をDJの楽しいおしゃべりと共に届けてくれるラジオの深夜放送は、インターネットもない当時の音楽ファンにとって必要不可欠な情報源だった。 当然のことながら、番組に寄せられたおびただしいリクエスト・ハガキの山と共に、ラジオの深夜放送からは幾多の洋楽が大ヒットした。

 ザ・ビートルズ、ローリング・ストーンズ、サイモン&ガーファンクル、シカゴ、ポール・モーリア、レーモン・ルフェーブル、フランク・プールセル、ザ・ベンチャーズ、カーペンターズ、レッド・ツェッペリン、サンタナ、クイーン、ザ・ビージーズ、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、オリビア・ニュートン・ジョン、エルトン・ジョン、ジェリー・ウォーレス、ジョン・デンバー、レターメン、アバ…etc

 AMラジオの深夜放送が生み出した錚々たるミュージシャンの面々。彼らの楽曲が如何にして日本人の心を捉えたかは、若者が熱狂したラジオ全盛期の深夜放送抜きには語れない。

▲ビートルズの練習拠点「CAVERN LIVERPOOL」
<AM放送の特徴>
 AM放送は、夜間になるとその電波が電離層で反射して非常に遠くまで届くため、1960~1975年頃は放送局の地元ファンのみならず日本国中の若者が深夜放送に耳を傾け、真夜中にラジオから流れる音楽や楽しいおしゃべりを聞きながら勉強をするのが当たり前の時代でもあった。

 旧ソ連の「モスクワ放送」や、中国の「北京放送」、北朝鮮の「平城放送」など、フェージングに悩まされながらも海外の日本向けAM放送に耳を傾ける若者が多くいたのもこの頃である。



洋楽紹介の中心的役割を果たした中波AM放送

 1970年代なるとFM放送局が相次ぎ開局して音楽放送を開始するが、それ以前はTBSラジオや文化放送、ニッポン放送など、全国の中波ラジオ局の音楽番組が洋楽情報発信の中心に位置していた。

 レコード発売の1カ月前くらいになると、当時のAM各局の人気番組の制作担当者のもとには、レコード会社の宣伝マンから発売前の宣伝用サンプル盤(白盤)が多数持ち込まれるのだが、ある番組ディレクターは「自分が選んで放送した楽曲が世の中で反響を巻き起こすのは、番組人気のバロメーターにもなって結構楽しかった」と語っている。

ラジオ局の誕生

▲ラジオ局で活躍したアナログ・テープレコーダー
<AMラジオ>
 AMラジオ放送局の誕生はNHKが最も早く、大正14年(1925年)に開局した。
26年後の昭和26年(1951年)には、民放ラジオの1期生として、CBCラジオ、毎日放送、朝日放送、RKB毎日放送、KBS京都、ラジオ東京(現:TBSラジオ)の各放送局が誕生した。

<FMラジオ>
 FMラジオ放送のNHK-FMが開局したのは昭和44年(1969年)で、大阪万国博覧会(通称:大阪万博)が開催された昭和45年(1970年)には、FM東京(前身は東海大学FM実験局の「FM東海」)とFM大阪が開局した。また、その12年後となる昭和57年(1982年)には大阪でFM802が放送を開始した。

テレビ局の誕生

 テレビ局が開局したのは東京のNHKが国内最初で、昭和28年(1953年)2月の開局。2番目は日本テレビで同年8月、翌年の昭和29年(1954年)2月には大阪のNHK、昭和30年(1955年)4月にTBSテレビ、12月に名古屋のCBCテレビと大阪のABCテレビ、昭和31年(1956年)4月に北海道放送が相次いで開局した。

▲テレビ電波を発射する東京タワー
 昭和32年(1957年)以降は全国各地に多くのテレビ局が開局したが、その頃のテレビ局は音楽番組が少なく、ポピュラーソングと呼ばれる洋楽については、中波ラジオ局の影響力が相当強かった時代と云える。

 テレビが注目され始めたのは、昭和34年(1959年)4月に行われた明仁親王(当時)皇太子殿下と正田美智子さん(当時)のご成婚パレード中継がきっかけとなったが、その頃は街頭に設置してあるテレビでの鑑賞が主で、各家庭への普及は今ひとつだった。

 その後テレビは、岩戸景気や昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催、更には昭和47年(1972年)に当時の田中角栄首相が打ち出した日本列島改造論などを背景として広く一般に普及していくことになる。

 つまり、昭和50年(1975年)頃まではAM電波による中波のラジオ放送が隆盛を極め、特に、若者の間で圧倒的な人気を誇った深夜放送が、洋楽の普及に強い影響力を発揮していたのである。


ラジオから数々の洋楽が大ヒット!

印象に残る昭和30~57年の洋楽

オンリー・ユー/ザ・プラターズ …1955年 (昭和30年)
浪路はるかに/ビリー・ヴォーン楽団 …1957年(昭和32年)←元歌は1937年
砂に書いたラブ・レター/パット・ブーン …1957年(昭和32年)
夏の日の恋/パーシー・フェイス・オーケストラ …1959年(昭和34年)
太陽がいっぱい/サウンド・トラック …1960年(昭和35年)

好きにならずにいられない/エルヴィス・プレスリー …1961年(昭和36年)
悲しき雨音/ザ・カスケーズ …1962年(昭和37年)
ムーン・リバー/アンディ・ウィリアムス …1962年(昭和37年)
愛さずにはいられない/レイ・チャールズ …1962年(昭和37年)
サーフィン・U.S.A./ザ・ビーチ・ボーイズ …1963年(昭和38年)

朝日のあたる家/ジ・アニマルズ …1964年(昭和39年)
ブーベの恋人/サウンドトラック …1964年(昭和39年)
ダイヤモンドヘッド/ベンチャーズ …1964年(昭和39年)
太陽の彼方に/アストロノウツ …1964年(昭和39年)
ヘルプ!/ザ・ビートルズ …1965年(昭和40年)

霧のカレリア/ザ・スプートニクス …1965年(昭和40年)
サティスファクション/ローリングストーンズ …1965年(昭和40年)
夜霧のしのび逢い/クロード・チアリ …1965年(昭和40年)
夢のカリフォルニア/ママス&パパス …1965年(昭和40年)
思い出のグリーングラス/トム・ジョーンズ …1966年(昭和41年)

花のサンフランシスコ/スコット・マッケンジー …1967年(昭和42年)
シバの女王/レーモン・ルフェーブル …1967年(昭和42年)
デイドリーム・ビリーバー/ ザ・モンキーズ …1967年(昭和42年)
恋はみずいろ/ポール・モーリア …1968年(昭和43年)
雨にぬれても/B.J.トーマス …1969年(昭和44年)

プラウド・メアリー/CCR …1969年(昭和44年)
西暦2525年/ゼーガーとエバンス …1969年(昭和44年)
レット・イット・ビー/ザ・ビートルズ …1970年(昭和45年)
明日に架ける橋/サイモン&ガーファンクル …1970年(昭和45年)
ミスター・マンディ/オリジナル・キャスト …1970年(昭和45年)

長い夜(25 or 6 to 4)/シカゴ …1970年(昭和45年)
ミスター・ロンリー/レターメン …1970年(昭和45年)←元歌は1964年
メロディ・フェア/ビージーズ …1971年(昭和46年)
カントリーロード(故郷へかえりたい)/ジョン・デンバー …1971年(昭和46年)
太陽は燃えている/エンゲルベルト・フンパーディンク …1971年(昭和46年)

ウィザウト・ユー/ニルソン  …1971年(昭和46年)←元歌は1970年
トップ・オブ・ザ・ワールド/カーペンターズ …1972年(昭和47年)
男の世界/ジェリー・ウォーレス …1972年(昭和47年)
カリフォルニアの青い空/アルバート・ハモンド …1972年(昭和47年)
幸せの黄色いリボン/ドーン …1973年(昭和48年)

やさしく歌って/ロバータ・フラック …1973年(昭和48年)←元歌は1971年
そよ風の誘惑/オリビア・ニュートンジョン …1975年(昭和50年)
哀愁のヨーロッパ/サンタナ …1976年(昭和51年)
ダンシング・クイーン/アバ …1976年(昭和51年)
哀愁のヨーロッパ/サンタナ …1976年(昭和51年)

ホテルカリフォルニア/イーグルス …1976年(昭和51年)
ハロー・ミスタ・モンキー/アラベスク …1977年(昭和52年)
ストレンジャー/ビリージョエル …1977年(昭和52年)
伝説のチャンピオン/クイーン …1977年(昭和52年)
ジンギスカン/ジンギスカン …1979年(昭和54年)

君の瞳に恋してる/ボーイズ・タウン・ギャング …1982年(昭和57年)
愛はかげろうのように/シャーリーン …1982年(昭和57年)←元歌は1976年



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